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どうも僕です。
タイトル関連の話を続けてきましたが、没になった戯曲版「にゃー猫」の内容にも触れていこうと思います。 もう日の目を見ることはないだろうから、こういう所でぐらいはね。 なんせ四年越しの付き合いなもんで。 この超マイナーブログをどれだけの人が読んでくれているのかは分かりませんが、数少ないその方々の暇つぶしぐらいにはなれるよう頑張って書きます。 うん、戯曲の内容というか、作家として何を書きたかったのかっていう辺りに焦点を当てた方がいいかな。 内容を説明したところでね…戯曲ってのは上演されなきゃ何の意味もないから。それに作者の偏った見解で戯曲を縛り付けるのは、あんまりよろしくない。 「にゃー猫」執筆にあたって一番考えていたのは、実はそのあたりだったりするんですよ。 作家ってのは、役者がいなきゃ何も出来ない無力な人間なんです。 上演してくれる人がいなきゃ劇作家なんてニートでしょ。自分一人で全部やっちゃえば別ですけどね。 つまり芝居を上演することにおいて、作家はでしゃばるべき存在ではない。裏方であるべきだし、実際、裏方だと思うのです。 役者は戯曲を必要としているのであって、作家を必要としているわけではない。 現場で実際に芝居を作っていくのは役者、演出、その他スタッフです。テーブルワークで戯曲さえ提供すれば用済みになる作家が、現場という可能性に満ちた創造的空間に必要以上に介入すべきではない。 だから、特にト書きによって色々と制限を加えるのは極力避けようと思ったのです。そういう意味での作者的要素を出来るだけ排したかった。必要最低限のト書きと創造において手助けになる台詞、これを一番意識しました。 これは没になった「にゃー猫」だけでなく、書き直して採用された新台本にも共通している部分の一つです。 新台本に至っては、さらにその部分が徹底されてまして、台詞の中に「…」「−」「!」など、使い勝手のいいこれらの記号は一度も出て来ません。「、」「。」「?」だけで全ての台詞を繋いでいます。 (急に怒って) (ややあって) (笑って) (間) こういったト書きも一切ありません。こんなもん、決めるのは現場の人間の仕事だからね。 裏方らしく作家は黙ってろ、ってことです。 段取りとしての動きを指定するだけの形にしました。 ただ、僕もこういう書き方が正しいと思ってるわけではなく、かなり実験的な意味合いが強いです。 役者からしたらノーヒントで構築していかなければならないわけだから、結構大変だと思います。 相槌を打つだけの台詞なんかも基本的に書いてないので、役者が「うん」とか「ああ」とか、自発的にやってくれないと成立しない(繋がらない)長台詞も結構あります。 役者をかじった経験上、例えば以下のようなやり取り。 男 どこかへ行くんだ! 女 ……。 男 行けって言ってるだろう! こういう時、男役は女役の「……。」を待ってしまうことが往々にしてあるんだよね。うちらみたいな半人前はさ。個人的にそれって嫌いなんだ。 しかも「!」がついてるもんだから、人によってはそれだけでイメージや言い方が凝り固まってしまう危険がある。その裏側まで読もうとすらしなくなってしまうんだ。 ある程度作家のイメージを提供することで役者の手助けにはなる。が、反面、可能性を狭めてしまうとも思う。 役者の端くれとして可能性は無限大であってほしいと思うから、一つの実験として記号とト書きを排除するという手法を試してみました。 はてさて、どうなることやら。 10月27日 【2年2番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-27 11:56
どうも僕です。
高校時代に書いていた小説版「にゃー猫」 その内容、実は戦争モノでした。 のくせに、こんなふざけたタイトルだったのです。ナメてるとしか思えません。 しかも無断遅刻、無断欠席、無断早退の常習犯。この三拍子が揃ったグータラ引きこもりゲーマー高校生の分際で、戦争がテーマと来た。 なんと言いますか、戦争経験者の皆さんの靴の裏を舐めたいぐらいの気持ちです。 無論、当時の僕なりに真摯な姿勢で取り組んでいたことは確かです。 それに高校の、何の役にも立たない勉強をするのに比べたら、遥かに有意義な時間と脳みその使い方をしていた自負もあります。 高校で学んだ事と言ったら、嘘のつき方、物事に対する手の抜き方、人の冷たさ、やりたくない事のスルーの仕方、屁理屈のこね方……他にも色々あるけど、とりあえず、所謂勉強というものは一切やった記憶がない。バイトはめちゃくちゃやってたけど。 無駄だって分かりきってたからね。 「高卒」っていう肩書きの為に行ってた、その方が後の選択肢が拡がるからさ。 まぁとにかく、戦争モノでした。 今はもうデータを消去してしまったから読めないけど、残しておけば良かったなって思う。 背伸びもいいとこですよ。いやいや、空を飛ぼうとしていたかもしれない。 とにかく読めたもんじゃないと思います、自分と繋がってないから。作家も自分と繋がって作品を書かなければならない。絵空事を書いていては人を魅了することは出来ない。その点、役者も作家も音楽家も画家も芸術に携わる人間は皆同じ。 これに気づいたのは、戯曲版「にゃー猫」を書きはじめた初期の頃。 なかなか上手く展開を運べなくて自分自身にやきもきしていた時に、ふと思った。 俺は自分に無いものを出そうとしているんじゃないか。 とね。 前作「ルームナンバー107」の時は自分と繋がることが自然に出来ていた(裏を返せば何も考えてなかった)のに、クリアしなければならない条件が増え、さらに尾鰭を付けたがったが故にいつの間にか見失っていたんだ。 それって無理してるってことだなと思って、出来るだけ自分から離れないように注意しながら書いた。 でもこういうのはね、離れたがる力の方が往々にして強いんですよ。磁石のように反発する。それは作家としてのエゴでありプライドであり、自分の書いてるものに対する愛情の裏返しでもある。 その帳尻を合わせる為の葛藤がありすぎて、没になった戯曲「にゃー猫」は、もうひっちゃかめっちゃかでした。 多分、それを書きながら自分でも感じ取っていたんだと思う。 だから、不採用の予感が付きまとっていたんだろう。 でもそれを認めてしまったら期限までに最後まで書けないと感じたから、不採用が決まるまでは意地でもそんなの認めねぇぞって背を向けていた。 校長先生から電話が掛かってきて開口一番「あ、アレ使わないことになったから。」って言われる夢を見たりした。いや、本当に。 ぶっちゃけね、夏休み明けてから書き上げるまでの三ヶ月間は、去年の修了公演の稽古期間より断然しんどかった。 白髪が急増して結構凹んでます。22歳で白髪が急増ってどうよ。 すでに去年以上を経験しちゃったから、そういう意味じゃ、今年は比較的ラクに感じるかもしれないね。 まぁ、自分で書いたやつに出演するってのは、それはそれでかなり障害があるんですけどね。作家の自分と役者の自分じゃ人格そのものが全然違うんで、またそこで一悶着あるわけです。 しかし、それもまた、いとおかし。 作家の自分は全部をぶつけたから、役者の自分はそれを全部受け止める。 11月26日 【2年2番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-27 00:10
どうも僕です。
書き直し台本、今週日曜日に無事完成しまして、採用も決定いたしました。卒業公演は僕の書いた台本です。 ありがとうございます。 タイトルも新しくなりまして、ガラッと雰囲気変わってます。 しかし今回はもったいぶって新タイトル発表を先送りにし、旧タイトルについてのお話を。実は結構深い話があるんですよ。 旧タイトルは以前ご紹介しましたが 「にゃーと聞こえたらそれは多分猫の鳴き声」 というものでした。 これ、戯曲の内容とはほとんど無関係でして、作者自身、よく意味が分かりません。まったく何を考えてたんでしょうね、インスピレーションと音の雰囲気だけでタイトルを決めるという無責任な性格丸出しのおバカなタイトルです。 それもそのはず、元々は高校時代に書いていた小説のタイトルなんです、この「にゃー猫」は。 当時、壮大なスケールで書いていたにも関わらず、中途であっさりと挫折。その無念を晴らすためにタイトルを使いまわしたのです。「にゃー猫」というタイトルで一本の作品を仕上げたかった、それが一番の理由でした。僕の中ではかなり愛着のあるタイトルであると同時に、過去の自分を超えるための壁でもあったわけです。 つまり今回(結果的に没になった)戯曲を書くにあたり、何よりもまずタイトルが最初に決まっていた。 そこから物語を考えてタイトルとの接点を何となく手探りしてみるという、行き当たりばったり過ぎる作戦を敢行しました。 んで、結果は不採用。 正直なところ、書いてる最中からもう、多分不採用だろうなって気がしていました。昔から悪い予感は的中率だけは人に劣りません。 僕には、先にタイトル決めちゃう作戦は全く合わないんですね。 長くなってきたのでここで切ります。せっかくなんで、次回は小説版「にゃー猫」の内容について触れていこうかと思います。 懐かしいね、もう4年も経つんだ。 11月26日 【2年2番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-27 00:05
ロシア・オムスク何ちゃらの来日公演、「33回の失神」を観てきました。
先月始めに韓国・釜山から来た劇団の芝居を観た時と感想はほぼ同じ、リアリティはリアルを超えると思った。 やっぱ生の舞台はこういう魅力があるべきだなと。 日本で演劇やってますっていう無名の無数の劇団。でも、どうも勘違いしているところが多いと思うんだな。 コント仕立ての芝居と、芝居仕立てのコントの区別がついてなかったりする。リアルとナチュラルとリアリティの違いが分かってなかったりする。 色んな芝居を観る度に、将来的に自分の目指すべき方向性が見えて来る。 芝居なんて所詮は娯楽。不可欠なものではないから、まあ、娯楽は娯楽なりのクオリティを追求してけばいいんじゃねって思う。芸術かどうかなんて結果論だしね、そういうのは評論家の皆様に決めていただけばいいんじゃないすか。 僕はあんまり芸術的センスないんで、いち観客としては芸術性より娯楽性のが大事だな。 【11月21日2年2番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-21 20:02
昨日、新宿の「青年劇場スタジオ結」で公演中の、ロシア・オムスク国立第五劇場の『33回の失神』を観てきた………
ロシアの偉大なる作家……A・チェーホフの短編作品『煙草の害について』『熊』『記念日』『結婚申し込み』この喜劇4作品を、チェーホフの善き友人でもある、モスクワ芸術座のメイエルホリドが再構成した台本である。 その内容たるや、筆舌し難いもので、凄い!としか言い様がない。 本当に生身の人間が舞台上にいて、本当にその場で起きているライブ感…すべてアドリブなんじゃないかと思うほどの、生々しさ……これこそ、新劇! それぞれの、役者たちの人生と、物語の登場人物たちの人生が溶け合って、唯一無二のキャラクターが舞台上にいるのを、確実に観た。 新劇の役者として、目指すべき方向性がはっきりとみえた。 役者としての、身体の使い方、魅せるとはどういうことか?役者のために必要な身体能力……役者自身の能力が役をさらに活かす、と言う言い方が一番しっくりくる気がする…… 美しかった…… 穢れのない、純粋に仕事をこなす「プロ」の姿 もはや、言葉では語り尽くせません あれこそ芝居 いまだに興奮冷めやらぬ 演劇人のみならず、すべての人におすすめしたい 観なきゃぜっっったいに損です! 23日までやってます! 今からでも遅くないかも知れません、観てください! 【11月21日2年1番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-21 10:47
僕達一年は今週、宣材写真撮影があります。
宣材ってのは宣伝材料の略で、オーディションや事務所に送る写真です。 タレント名鑑に載る写真、と言うとわかりやすいでしょうか? それに向けて、メイク授業・ファッション、果てはアイロンのかけかたも習います。 アイロンなんて…と思うかもしれませんが、そこは若年層の1年。 社会に出て恥をかくより、学校で恥をかきます。 常識を知らないは恥、うむ。 役者ってのは本当に万能職だと最近思います。 メイク、ファッション、日用大工、電気配線、裁縫、ダンス、歌、洗濯、体調管理etc… 数限りないことをこなさねばなりません。 意外といろいろやる職業なんですね。 ただ、見返すと生きていくうえで必要な能力ばかり… 役者って意外といろいろ学べて得な商売かも。 そんなことを考えつつ、忘れる前にアイロンかける僕です。 【11月16日1年4番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-16 23:36
今日、バイト先の(前)店長の結婚式に出席しました。
何とか式、という、形式張ったものには、縁遠い僕ですが、古典の芝居には、結構、冠婚葬祭がでてくるなぁと、ふと思う今日この頃。 洋式の結婚式だったのですが、海外のパーティーの感じがちょっとだけわかりました。 芝居のなかに出てくるシチュエーションは、その登場人物達には、唯一無二の状況で「特別」な、何かがそこにはなくてはならない。 今日、出席した結婚式には、『喜び』が満ちあふれていた…… 感謝のエネルギーが満ちあふれていて、すごくいいものを頂いた。 役者は、そういうものも、創りだすべきなんだと思った。 言葉にすると陳腐になるような気がする、「幸せ」ってやつは、確かに存在するんだと思う。 それぞれのドラマを描くには、それ相応の振れ幅が必要で、年齢を重ねないと分からないものは、確かに存在する。 わかった気になってるうちは、まだまだ、駆け出しなんだなぁ……… 【2年1番♂】 ▲
by joko_acting
| 2010-11-14 18:11
![]() 一昨日、目黒の大鳥神社へ酉の市に行ってきました。 初めて見る光景ばかりで、もう驚きの連続!でした。 辺りが真っ暗な高級マンション街という中、神社だけは昼間以上の明るさでした。 屋台に吊された提灯。 様々な装飾の施された熊手。 そしてそこに反射した提灯の灯り。 まるで一瞬にして時代を遡ったような一時でした。 ただ唯一残念だったのが、身長150センチもない私。 ……人波に流されないように必死でした…。 ▲
by joko_acting
| 2010-11-09 19:45
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by joko_acting
| 2010-11-04 18:21
![]() どうも僕です。 9月末が締切だった台本は、予想通り却下されました。 結果が出たのが10月15日。その時に言われたのは、10月末までに何かしら書いて再提出すること。 ゼロから全く別物を書くんでもいいし、提出したやつを書き直しでもいいし、とのことでした。 最初、再提出については断ろうと思ったんです。9月の段階でかなり無理をしてたので、それがまた続くと思うとぶっ倒れるんじゃねーかと。 朝から授業なり稽古なりバイトなりがあり、夜中の2時ぐらいに帰宅して、翌日はまた朝から動いて。一日の休みもなく9月を駆け抜けました。それで合間を縫っては書き、睡眠を削っては書き。 その結果があえなく却下というわけです。 10月に入ってからも結果が出るまでの二週間はずっと緊張状態でした。 んで、結果が出たら出たでまた頭おかしくなりそうな生活が始まったわけです。 そうすると、机の上が写真のようになります。糖尿病になるじゃねーか。 何もする気が起きません。二つを同時には出来ない性質なので、9月も10月も、執筆期間中は授業で扱ってるどの台本も全く読んでません。 申し訳ないぐらい読んでません。 台詞覚えも一切やってないし、役作りも一切やってないし、戯曲分析も一切やってないし、直感だけで適当にやってます。悪く言うと、完全に手を抜いてます。 ごめんなさい。 本当、自分の甘さにヘドが出る。 もう朝だね、今日は寝ないで学校パターンだ。そういや風呂入ってないや。入ろ。 これもまた、いとおかし。 11/1《2年2番♂》 ▲
by joko_acting
| 2010-11-01 06:19
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